出る杭は打たれる、出すぎた杭は打たれない

と言う格言があります。組織が全員一丸となって一定の規律で物事に取り組む際に、「破格の人」は特別扱いしよう、といった風に取れます。出すぎた杭の私的な解釈は「皆が一目おく実力を踏まえた破格の人」であって「実力のない破格の人」は、規律を乱す単なる非常識人であり、杭として機能しない粗悪な木材です。粗悪な木材は引き抜かれ、波間に打ち捨てられ、荒波にもまれ、虫に喰われて朽ち果てるのみです。


「破格の人」は言いかえると「霧のように掴みどころがないが、全体を護っている人」です。視点と視野、理解度が圧倒的に異なります。個人の視点、組織の視点、会社の視点、地域の視点、国の視点と自在に切り替えることができ、視点に見合った視野で全体を見渡すことができます。全体を見渡しながらも局所的な問題にも取り組むことができ、次元の異なる人の視点と理解度に合わせてコミュニケーションが可能です。放置しているようで柔らかく包みこんでいる、アバウトでありながら几帳面な人と言ってもいいでしょう。


個性とは何も持たず備えずして本来のご自分に備わっている性質です。ご自分では自覚できませんが、他の人からは「あ、あの人だ」と一目で観測できるものです。制服を着ていようが、背広を着ていようが無個性になどなりません。見た目の派手さや、言動を左右にしてミステリアスに思わせ、思想がエキセントリックだから「個性」で「破格の人」になれるのではありませんのでご注意下さい。

心が変われば。どう変えれば?

『心が変われば、態度が変わる
 態度が変われば、行動が変わる
 行動が変われば、習慣が変わる
 習慣が変われば、人格が変わる
 人格が変われば、運命が変わる
 運命が変われば、人生が変わる』

野村監督やその他著名人がよく座右の銘にしている言葉です。元を辿るとヒンドゥー教の教えまで遡るそうです。目標達成には、この原点となる「心が変われば」がキモとなります。
私見ですが「心」を「感情」と置き換えます。目標達成には目標までの高さを日割りして、日々を積み重ねる事が最善の方法です。この際に「感情」が係数となります。マイナスであれば目標から遠ざかり、プラスであれば近づきます。プラスの「感情」が大きくなればなるほど、目標への到達は早まります。


「感情」とは厄介な代物です。晴れれば好い気持ちに、雨が降れば嫌な気持ちに、時々刻々コロコロと切り替わります。日々の「感情」に振り回されると、目標とする物事への意欲が失われていきます。「今日は雨が降って気がのらないからやーめた」というのは典型と言ってもいいでしょう。

また、「感情」は周囲から察知しやすいので、似通った人が集まって集団となります。「類は友を呼ぶ」です。類友はコミュニティとしての結束が強くなり、「感情」の増幅が行われるため、一度ハマると抜け出せないようになります。抜け出そうとすると周囲の声が足を引っ張ります。「どうもやる気にならないんだよねー」「どうせ巧くいかないって」「危ないからやめといたほうがいいよ」等・・・。1人の決意では多人数の増幅された「感情」に勝てません。マイナスの「感情」の集団に引き込まれたら、あっという間にマイナスの人間に染まってしまいますね。


では、どのように変えればいいのでしょうか。


1つは前向きの「感情」をキープすることです。これは「どんな悪いことが起きても好い事だ!」「ずぶ濡れだけどラッキーだ!」「がんばれがんばれがんばれ!!」という修造ライクな肯定ではなく「なるようになるさ」「止まない雨はないさ」「いいね!」というゆるゆるとした程度のプラスで大丈夫です。「感情」を前向きにしていることで、プラスの「感情」の集団に引き寄せられ、プラスの「感情」の増幅でどんどんとプラス人間に染まっていきます。

もう1つは何でもいいので簡単な成功事例を自分で作ることです。100人に挨拶でもダイエットでも100円貯金でも富士登山でもイベント幹事でも何でもいいです(自分の例ばかりですみませんが・・・)成功事例を体験すると「失敗するからやめときな」というアドバイスは全く聞こえなくなり、逆に「どうやったら巧くいくの?」という聴かれ方に切り替わります。


内側から「変わろう!」という意志がない限りは変われませんが、「変わりたい!」ともがいている人を手援けしたいものです。そして一緒にプラスの「感情」の集団となって進んでいきましょう。

盲導犬訓練センター見学会に行ってきました

盲導犬支援センター代表のご好意で、盲導犬訓練センターの見学会に参加しました。正直なところ子供の頃犬に噛まれたことがあるので、犬は苦手なのですが、でっかくても大人しくて人懐っこい犬達にそんな気持ちも吹き飛び、ニコニコしっぱなしでした。説明を聴いてる間にも目から鱗がボロボロ、脳内に新しい思考回路が生まれました。


盲導犬訓練センターはたくさんの方の募金や寄付、ボランティアさん達によって支えられています(盲導犬は無償貸与です)候補犬は1年間ボランティアさんの一般家庭で育てられ、2年目から訓練、10年超えると引退で、もらわれたり施設で余生を過ごします。

■訓練センターは清潔が第一です。犬舎は犬が大量(80頭前後)にいる場所特有のにおいはしません。毎日ボランティアさんが掃除して、月に2〜3回お風呂、その後1.5時間かけてブロー&ブラッシングしています。床暖房にミストまで常設されていて快適に過ごせるようになっています。犬なのでスキンシップが一番大事です。候補犬は「これをすれば誉めてもらえるんだ!」という喜びの積み重ねを訓練するため、尻尾をブンブン振っていて、とても楽しそうです。人でも同様に喜びの積み重ねで素晴らしい人格ができあがるのだろうな、とふと思いました。

視覚障害の方は全盲の方だけでなく、見えにくい方や視野がとても狭い方などもいるので「見えないフリ?」等という無碍な言葉を投げかけるのはやめましょう。一人で見えないまま歩く、というのは物凄く集中力を要し、消耗します。歩行用の杖(白杖)は、高い位置にある障害物に気づかないので、木の枝など避けることができないことがあります。盲導犬を借りるためには、4週間施設へ寝泊りし、歩行訓練や犬のお手入れ、えさやしつけなどの講習を受けてからとなります。盲導犬が来てくれてからは、移動が物凄く楽になり、盲導犬を通じて色んな方と会話できるようになって楽しい!とのことでした。
ただし、盲導犬も犬なので、なでたり目をじっと見ると、遊んでくれると思って気が散ってしまうので、お仕事中はかまわないようにしてくださいね、とのことでした。


見学会終了後に、目隠しで盲導犬と歩行訓練しましたが、見えないというのは不安で不安定です。どこにいるのか、どう立っているのかが解らず、周りの音や声が凄い勢いで雪崩れ込んできます。盲導犬に引いてもらっても不安でした。見えない世界を体験したこと自体が貴重な体験でした。
興味がありましたら、見学会に参加してみてください。

「手段」ではなく「目的」に集中しましょう

とかく人は流行に流されます。その理由のひとつに飽きっぽいから長続きしない、という性質があります。例えばダイエット、一体どれだけのダイエット本(運動、食餌療法、DVDやWEBサービス等)が溢れ返っていることでしょうか。そして成功者はどれぐらいいるのでしょうか。成功する前に3日坊主で投げ出してしまい、また新しいダイエット法に飛びつく、といったサイクルになり勝ちです。ダイエット方法という「手段」に翻弄され、ダイエットする!という「目的」を見失っていませんか?「目的」を達成するための「手段」であって、「手段」を「目的」にしては達成できるはずもないのです。


現状のWEBでも同様の事象が起こりつつあります。HPから始まり、ブログ(mixiアメブロ)、Twitterfacebook等、制作サイドでもJAVAPHPFLASH等とめまぐるしく変遷していて、利用者からしてみれば何がどうなっているのか解らない状態となっています。WEBを利用する本質的な「目的」を先に聞き出して、その「目的」にマッチする「手段」とサービスを提供するという、昔ながらの御用聞き(「言いなりの奴隷」という意味ではありません)スタイルがベストなのかもしれません。


最先端の技術を追いかけるのではなく、解り易くて使いやすい技術に、御用聞きの人情をちょっと載せて提供すれば、喜んでもらえると考えています。

直接的な見返りを求めないこと

人付き合いで「自分に損得があるのか否か」で判断する事が多々あると思います。「その依頼の私への見返りは何ですか?」とか「ヘルプしたのに何の感謝もなかった」とか・・・。ちょっとだけ考えを柔軟にして、直接的な損得や見返りを求めないようにしてみてはいかがでしょうか。金は天下の回り物、というのと同様に損得や見返り、感謝は間接的に回ってくるものだ、と思えば直接的な相手に対する期待値が下がります。


例えば、喫茶店のコーヒー一杯に、どれぐらいの間接的な協力があるのかを想像してみて下さい。普段口にする食事に、どれぐらいの間接的な協力があるのかを想像してみて下さい。生産者〜流通業者〜卸業者〜小売業者〜家庭へと、目には見えていませんが誰かが誰かを援けて社会と世間は成立しているのですから、その恩恵を十分に感謝しましょう。

「人が集まる場」を創りましょう

「人を集める場」ではありません。一字の違いですが、解釈が全く異なります。「人を集める」だと主催者が色々と画策して無理に集める、という解釈となります。「(主催者が)人を集める場」と言ってもいいでしょう。一方で「人が集まる」だと主催者は「場」を設けただけで自然と「場」に人が来る、という解釈となります。主語が主催者か、人かの違いですね。


人は来い来い!と命令口調(ととれる)物言いよりも、面白いから来なよ〜!といった砕けた表現の方に魅力を感じます。子供の初めて水泳教室が一番のいい例で、プールサイドに先生が立ち、ピッ!と笛を鳴らして「入れー!」と言っても子供は怖いから入りません。そうではなく先生が先にプールに入って「気持ちいいからおいでー」と言うと、大抵の子供はザブンザブンと入ってくるとか。


花は蝶や蜂が蜜の匂いを嗅いで、自然と集まる「場」を提供することで、花粉を運んでもらいます。同じように魅力的な「人」や「場」となり、自然と「人が集まる場」を創り出せるようになりたいものです。

「愉しい事」のプロになる

「愉しい事」=「好きで好きでたまらなく、寝食を忘れて没頭できる事」ということは再三ご案内してきました。それでは「愉しい事」のプロになるには、どれぐらいの期間がかかるのでしょうか。統計を元にした数字的な根拠は『1万時間の意識的な鍛錬が必要』と言われています。


1万時間を分割すると1日3時間で20年間という時間経過となります。途方もない時間と思うか、大したことないじゃんと思うかは人それぞれですが「愉しい事」なら続けられると思います。


また「意識的な鍛錬」というのも重要です。ダラダラとした練習、妥協した訓練ではなく、先週よりも、昨日よりも、今実施した一瞬よりも、更に上達したい!と意識して練習を積み重ねる事を鍛錬と言います。「千の練習を鍛とし、万の練習を錬とす」という言葉もあります。日々のカイゼンの積み重ねが、自分自身に自信と実力をもたらすのです。


華やかに見えるプロも「継続力」「意識的な鍛錬」があってのプロ、そうありたい!と思ったら今すぐにでも鍛錬を始めましょう。